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本当にただの日記

結婚と、それまでのうとうと

極めて私事なのだけど、今年8月26日に結婚した。人生でも比較的大きめなイベントなので、今年のうちに備忘録も兼ねて出会った時のことでも書いてみようと思い筆をとった。

ちなみにこれを書こうと思ったきっかけは、ゆる書道学ラジオの夏来さんとゆる学徒ハウス別館の管理人LE0さんがご結婚に際して発表されていたnoteがとても面白かったからです。オタクは人間が生きて考えて決断した話と、人と人との間に関係性が生まれる話が好きだ。(そしてセーブしきれていない惚気話も好きである。)有料だけどとてもいいので宣伝させていただきます。

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私たちの出会いは今から遡ること5年、2018年の8月26日。その日はSANABAGUN.というバンドのイベント「さなばがん夏祭り」だった。

SANABAGUN.はメンバーのほとんどが自分と同じ1990年生まれ、「ゆとり世代」をレペゼンするJAZZ HIPHOPバンド。それまでも存在は認識していたが、この年の5月に初めて生で観て、同世代ということも手伝い一気にハマったところだった。ライブにも通い始めたその頃、開催されたのがこのイベント。

バンドのイベントだがライブはない。あるのはメンバーによるDJとレコードや古着のフリマ、ヨーヨー釣り、射的、似顔絵、占い、盆踊りという謎の催し。SANABAGUN.らしいふざけた遊び心に溢れたイベントだった。

SANABAGUN.のエンタメセンスに全幅の信頼を置いていた私は、間違いなく面白いイベントになると思い、友人と2人で参加することにした。当日、昼ごろ私が会場に到着すると友人から仕事で遅れると連絡が入りとりあえず1人で会場を見て回っていた。フリマは売れてしまったら物がなくなるので先に行くのが得策と思い、店番をしていたベースの大林亮三氏と少し話しながら古着1点とレコード1点を購入した。

一緒に写真を撮りたくて、写真いいですか?と聞いたら快くOKしてくれたが、私は1人だし近くにスタッフさんもいなくて撮ってくれる人がいない。

そこで亮三が後ろに並んでいるお客さんに声をかけた。
「写真撮ってもらってもいいですか?」「いいですよ」
それが旦那との出会いだった。

彼もまた友人と2人で来ていて、こんなイベントに来るぐらいなので当然SANABAGUN.のファンで、音楽が好きな青年だった。ファン同士自然と会話が弾んで、私の友人が合流してからもその日は一緒に過ごすことが多かった。

彼の友人がイベントで当てたTシャツのロゴが赤と緑と黒の縞模様なのを見て「これ元ネタ絶対A Tribe Called Questですよね!」と言ったらすぐに理解して笑ってくれて、この人とは話が合いそうだなと思った。

彼も彼で、私が喫煙所でタバコを吸いながらアメリカンスピリッツが全部ソフトからボックスに変わったことへの恨み節を言っていたのを聞いて気が合うと思ったらしい。

そんなこんなで連絡先を交換し、今度飲みに行きましょうと言って別れた。

楽しくはあったけど、こういったイベントで話したりするような出会いはよくあるし、そのまま2度と会わないなんてことも多いので、特別運命めいたものを感じることはなかった。

しかし、そんな予想に反して翌日早速彼からのLINEが届く。へ〜、思った以上に好感触だったのかもしれない。そう思いながら開くと、

「この曲オススメです!」

レディース・ナイト

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Kool & the Gangが送られてきてたのでめっちゃ笑った。

そんなことある?

イベントであった女に初手でKool & the Gang送ることある?

この時私は察した。「この人純粋に音楽好きの仲間見つけてはしゃいでるだけだ…」と。そしてもしかしたら恋愛的な駆け引きが始まるのかもしれないという考えを恥じてすぐ取り下げた。その後も高頻度で連絡がくるものの、大体オススメの曲と、SANABAGUN.の話の2択だった。(そしてこれは音楽で括ったらもはや1択である。)

当時仕事が多忙だったこともありなかなか再会の機会は訪れなかったが、彼は根気強く誘ってくれた。しかしこれも多分音楽の話がしたかっただけだと思う。そういう下心のなさというか駆け引きのなさというかただの音楽バカのオタクさが気楽で心地よく、好ましいなと思っていた。

ようやく再会して道玄坂のイタリアン(今は亡きvisionの隣の店だった)で飲みながら話すと、2人ともThe Beatlesが音楽のルーツで、学生の頃は銀杏BOYZ毛皮のマリーズにくらっていたことが判明したし、別の日に古着屋を見ようと高円寺の駅で待ち合わせたら、2人とも髙橋紘一に憧れて指ぬきの手袋をしていて笑うなどした。

そうして翌年から付き合い始め、さらに翌年から同棲、今年結婚に至った。

この間に2人で楽しめることが増えた。彼は私の好きな美術を好きになってくれて、一緒に美術館に行くようになった。ほとんど読まなかった本を読むようになって、今では私よりも読書家になってしまった。私は彼が好きなゲームを始めた。Nintendo64で家庭用ゲーム機の記憶が止まっていた私が、TPSを始めて、最初はキャラクターを歩かせるのも困難だったが少しはマシになった。そして今は麻雀を一緒にやったりしている。彼と遊んでいると、何をしていても「楽しみの本質」みたいなものを捉えようとしているところが大いに共感できるので面白い。

そして今年10月14日、我々は我々が出会ったきっかけとなった、大林亮三その人に会いに行った。彼の地元藤沢のソウルバーで、彼の名を冠したバンドのレコ発ライブがあったからだ。(旦那の地元も藤沢に程近い。これもまた運命的な偶然だった。)

バーのマスターは随分昔から亮三を可愛がっていた人で、私たち亮三さんのおかげで結婚したんですよ、と伝えると嬉しそうに笑ってくれた。その日ライブに来ていた亮三の同級生の方、バンドメンバー、仕事仲間にもたくさん祝福されて、最後には亮三と直接話した。5年前旦那が撮ってくれた亮三と私のツーショットに、今回撮ったスリーショットが思い出として加わった。

順番は前後するが、結婚指輪は鎌倉彫金工房さんで自作した。お互いそれほどブランドに興味がなく、だったら体験に金を払うのがよかろうと思ったからである。

そして、その指輪の裏に、セネカの『倫理書簡集』から「Si vis amari, ama.」(=愛されたいのであれば、愛しなさい)を刻印した。これは、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』の一節を思い浮かべながら選んだものだ。

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。(中略)わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。

それは自分自身、自分のいちばん大切なもの、自分の生命だ。これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。そうではなく、自分のなかに息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているものすべてを与えるのだ。

—『愛するということ』エーリッヒ・フロム著

我々は違う人間だからこそ、互いが今まで培ってきたものを共有し分け合うことができる。日々吸収したこと、考えたこと、新たに出会った楽しいこと、それらを与え合うのが愛し合うことだとしたら、それはとても豊かなことだ。

偶然の出会いと必然の歩みの中で今があることに感謝しながら、来年もこの先も楽しく過ごしていけたらいいなと思う年の瀬である。皆様も、良いお年を。

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